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昨日 野球場で ビール三杯 夕方5時に相模原戻ってきて ホッピーを1杯 ベロベロになって家に帰り 即寝 起きたら 夜11時 しかも 二日酔い 無理矢理寝て 今やっと落ち着いてきた二週間酒飲まかっただけで こんなに弱くなるんだ 最後に 神宮球場のビール売りの子 男だと買わない 女の子だと売れる なんか あの格好 かわいく見える 同じ子から買うと おかわりありがとうございます今の打球惜しかったですよねって 話してももらえます はじめに生足の太ももが目に入っちゃったんで やたら照れちゃいました
JFK暗殺 前回の日記 その16“” その17そしてケネディ暗殺事件の最も不気味な点がある。それは目撃者・関係者の次々と怪死している事が挙げられる。以下に挙げる中で、通常の病死とか自然死と思われるものは除外している。まずは射殺されたケネディ暗殺容疑者リー・ハーヴェイ・オズワルド。そのオズワルドがアメリカへ帰国した時に暖かく迎え、オズワルドに教科書倉庫ビルの仕事を斡旋したジョージ・デ・モーレンシルツ。モーレンシルツは事件後の事情聴取で、CIAのJ・ウォルトン・ムーアという人間が、自分とオズワルドを引き合わせたと証言。しかし彼は、直後に「CIAは関係ない」という内容の声明文を書いている。その14年後の1977年、モーレンシルツは初めてケネディ暗殺事件研究家の取材に応じる。モーレンシルツは、やはりオズワルドとの出会いにCIAの関与があった事、ケネディ暗殺は陰謀である事などを発言。その取材のわずか数時間後、頭を撃ち抜かれて死んでいるモーレンシルツが発見される。モーレンシルツの死は、理由も動機もなかったにもかかわらず自殺と断定される。※やはりオズワルドとの出会いにCIAの関与があった事~ ・フォンズイ記『最後の捜査』'80・11次に、売春婦のローズ・シェラミー。彼女はケネディ暗殺の2日前に、警官にこう証言した。「ジャック・ルビーの絡んでいるケネディ暗殺計画について耳にした…」と。彼女は1965年、轢き逃げにあってこの世を去る。犯人とされるジェリー・D・ムーアは、絶対に自分は轢いていないと証言。シェラミーの体にタイヤ痕は残っていましたが、ムーアの車のタイヤはほぼ磨り減っていなかった。※ローズ・シェラミーの証言~ ・下院暗殺調査特別委員会報告書 ジャック・ルビーの絡んでいるケネディ暗殺計画~ ・ルイジアナ州警察メモ '67・4/4 ジェリー・ムーアは、絶対に自分は~ ・ジョー・H・ウェスト&J・ゲイリー・ショー記『ジェリー・ドン・ムーアとの談話の報告』他にも、ケネディの愛人だったマリー・P・マイヤー。マイヤーは1964年の9月に変死体で発見された。マイヤーの遺体には2つの弾傷(後頭部に一つと心臓にもう一つ)があった。そして遺品のマイヤーが記した日記はCIAが押収。その日記は証拠物件なのにもかかわらず、なぜか焼却処分されてしまう。さらに、車のセールスマンであったアルバート・ボガード。オズワルドに挑発された人物です。ボガードは事件後、「俺が見たオズワルドと逮捕されたオズワルドは別人」と証言。その2年後にボガードは自殺、動機は発見できませんでした。暗殺の少し前に、グラシー・ノールの駐車場で怪しげな車3台を目撃したリー・バワーズ。1966年に事故死。教科書倉庫ビルの裏口から、男が逃走するのを目撃したジェームズ・R・ウォーレル・Jr。1966年に事故死。逃走するオズワルドを乗せたとされるタクシー運転手、ウィリアム・H・ウェイリー。1965年に事故死。3件とも他の車が関わった事故じゃなく、本人だけで完結している単独自動車事故。バワーズの事故など、黒い車が橋台に追い詰めるところを目撃した者が存在している。※怪しげな車3台を目撃~ ・ウォーレン委員会報告書全集第6巻 黒い車が橋台に追い詰めるところを ・マーク・レイン著『ある市民の異議』ベセスタ病院でケネディの検死時に撮影記録担当したウィリアム・B・ピッツァー海軍中尉。ピッツァーはその時の事を「ぞっとするような経験」と語っていたが、1966年に自殺。また、オズワルドが警官J・D・ティピットを射殺した際の目撃者達…その12人のうちの7人は、「ティピット殺しとオズワルドは別人である」と証言。彼らのうち、ハロルド・ラッセルは事件の3年後、警官によって射殺。ウォーレン・レイノルズは事件の2日後に頭を撃たれ瀕死の重傷を負う。その後、証言を撤回。ドミンゴ・ベナビテスは事件の3ヵ月後に、何者かの銃撃によって弟のエディを亡くす。なお双子であるドミンゴとエディは、区別が付かないほど酷似していた…間違えられた…?そしてオズワルドを射殺したジャック・L・ルビーも疑惑の残る変死。さらに、ジャック・ルビーに関わった人達のうち、なんと6人が2年以内に変死。ルビーが経営していたバーの踊り子、ベティ・マクドナルド。1964年、動機不明の首吊り自殺。ルビーが経営していたバーの踊り子の夫、ハンク・キラム。1964年、喉を切られた死体が路上で発見。ルビーが経営していたバーの踊り子、テレサ・ノートン。1964年、ダラスにて射殺。ルビーが経営していたバーの踊り子、マリリン・ウェール。1966年、新婚の夫により射殺。ルビーのアパートを独占スクープした記者、ビル・ハンター。1963年、警官によって射殺。ルビーのアパートを独占スクープした記者、ジム・コーセー。1964年、何者かによって他殺。なお、ビル・ハンターとジム・コーセーは共にルビーのアパートに突撃取材している。さらに公判中にルビーと面談した女性コラムニストのドロシー・チールガレンは、睡眠薬とアルコールの複合作用で自宅にて死亡。チールガレンの自宅からは、ルビーのインタビューを記録したノートが消失。前の日記で述べた元CIAのデビット・W・フィーリーは、新聞記事にスッパ抜かれた5日後に疑惑の「自然死」。ほぼ同時期に、フィーリーの友人であるエラディオ・デル・ヴァレも他殺。「暗殺計画には情報機関が関わっている」と主張したCIA局員のゲイリー・アンダーヒルは1964年に自殺。彼は右利きだったのにもかかわらず、左手で持った拳銃で自身を撃っている。※彼は右利きだったのにもかかわらず~ ・トービット著『暗殺グループ便覧』後述するが、なんとウォーレン委員会のメンバー2人までが疑惑の死亡&行方不明。こんなところでしょうか。繰り返しますが、病死や心臓発作等の自然死と思われるものは除外している。ちなみに全て含めると100人を超えます。ウォーレン委員会の調査報告に関する矛盾、そして奇妙な事実はこんなとこです。・ケネディ大統領暗殺に関する大統領特命調査委員会(通称・ウォーレン委員会) 委員長:アール・ウォーレン(最高裁判所長官) 委員:リチャード・B・ラッセル・Jr(民主党上院議員) ジョン・シャーマン・クーパー(共和党上院議員) ジェラルド・R・フォード・Jr(共和党下院議員、後の第38代アメリカ合衆国大統領。) T・ヘイル・ボックス(民主党下院議員) アレン・W・ダレス(前CIA長官) ジョン・J・マクロイ(元世界銀行総裁)この問題のウォーレン委員会の調査報告、なんとメンバーの中にもそれを信じていない人がいた。ラッセル、クーパー、ボックスの3人が代表的です。特にラッセルはCIAやFBIが色々な証拠品を渡そうとしなかった事に腹を立て、マスコミに色々暴露。1970年には「ケネディの暗殺は陰謀である」という内容の新聞記事を書く。しかしその直後、ラッセルはこの世を去る。人為的な感じのするタイミングですが、この人は本当に自然死かもしれません。また、ボックスも委員会の決定に疑問を抱いていました。この委員会メンバー間の電話がFBIに盗聴されていた事を知り、不信感を増大させている。そんな経緯もあり、ボックスはFBIを非常に敵視していた…1972年、ボックスの乗った飛行機が行方不明に。ボックスは遺体すら発見されていない。クーパーに関しては…クーパーは、「魔法の弾丸」を認める事に反対していた。しかし委員会解散後はマスコミに対していっさい口を開かず、そのまま余生を過ごす。ウォーレン委員会の結論に否定的だっただけでも、以上の3人。しかし部分部分に疑問を抱いていた人間となると、もっと多くなってしまいます。さらに、ウォーレン委員会の上に立つあの大物すら、この調査報告に疑問を持っていた事を表明。それはなんと、ウォーレン委員会を招集したリンドン・B・ジョンソン大統領。黒幕疑惑があった彼までが「オズワルドが単独でケネディ大統領を暗殺したと考えた事は一度もない」と発言。完全に政界から引退した後、ポロッと本音を吐いてしまったのか…またジョンソン大統領の腹心の部下で郵政長官を勤めたW.マービン・ワトソンは、以下の内容を発言。「ジョンソン大統領は、ケネディ暗殺を陰謀だと確信していた。さらに、CIAの関与を疑っていた」と…結局、ウォーレン委員会の報告というのは完全に逆効果。国民の多くを陰謀説に傾かせ、おまけに内部の身内ですら信じておらず…ウォーレン委員会の調査報告内容における確かな事実は、「ジョン・F・ケネディは第35代アメリカ大統領である」という事だけだ、とまで馬鹿にされる始末。結局のところ、ウォーレン委員会の報告書に関する問題は次の通りでしょうか。 ウォーレン委員会の問題点 ・最終結論(オズワルド単独犯行説)に都合の悪い証言は全て排除。 勘違い、見間違い、聞き間違いとして除外した証言は余りに膨大。 ・資料や証言の裏付けが取れていないのにも関わらず到底信じられないような結論が導き出されている。 ・オズワルドの行動に無理があり過ぎ、超人のよう。 ・証人の尋問や証拠の検討などが国民に対して非公開。これでは事件の隠蔽を図ったと揶揄されても仕方がない調査報告でした。また、このケネディ暗殺に関しての証拠物件の公開は異様なまでに制限されてしまう。さらにジョンソン大統領は、以下の命令を出す。「ウォーレン委員会の調査した証拠物件や資料は、2039年まで公開されてはならない」。その理由は、「国家の安全に関わる」からとジョンソン大統領は発言。しかしウォーレン委員会の調査報告は、「事件は陰謀ではなく、政治的な意味合いはない」。「政治的な意味合いはない」のに「国家の安全に関わる」って…自己矛盾過ぎる… ・参考・ケネディ暗殺は陰謀であると思っているアメリカ人の割合 1964年:31% 1967年:67% 1993年:89%さらにニクソン政権時代、暗殺に関わる重要文献が国立公文書館から次々と紛失している事までが判明。消えたのは、資料文章だけではありません。国立公文書館に保管されていたケネディの脳が、どこかに消え去ってしまったのです。今までの日記で、ケネディの頭の傷の位置がどれだけ重要かは解説してきました。それを最も端的に示すケネディの脳は、2039年を待たずして消失してしまったのです。さらに後には、ニクソンとウォーレンが交わした手紙までが紛失書類リストに追加されてる。次々と消えていく証拠物品・文章資料…証拠隠滅と疑われても仕方ない…※国家記録保存所から次々と紛失~ :ニューヨーク・タイムズ '72・8/27さて、私の仕事もあと少し。これを読んだあなたの生きの良い魂もいただきますか!続く
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